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唐の歴史

長安から西安へ:唐の都が今もここに響き渡る理由

かつて長安と呼ばれた西安——唐王朝の国際色豊かな都は、詩人やシルクロードの商人、そして今日のショーが今も甦らせる宮廷芸術が息づく街でした。

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別の名前で呼ばれる街

現代の西安は、唐王朝(618〜907年)の都であり、それ以前には漢を含む複数の中国王朝の首都でもあった長安の跡地に位置しています。「長安」はおおよそ「永遠の平和」を意味し、唐の時代には世界で最も広大かつ人口の多い都市の一つとなり、バグダッドやコンスタンティノープルと並んで、その時代を代表する大都市として語られることが多い場所です。後に明王朝の時代に「西安」、すなわち「西の平和」という名前に変わりました。つまり、現代の地図で「長安」を探しても見つからないのは当然で、あなたが立っているその場所こそが、かつての長安なのです。

格子状に設計された、交易の街。

唐の長安は、城壁に囲まれた坊を方格状に配した計画都市として造営され、皇城を北の中心に置き、市は商品や民族ごとに割り当てられていました。シルクロードの東端に位置し、ペルシャ、中央アジア、朝鮮、日本から来た外国の商人や僧侶、外交官たちが、仏教、道教、ゾロアスター教、ネストリウス派キリスト教の信者たちとともに、この都で暮らし、交易を営んでいました。この国際色豊かな混交こそが、歴史家たちが唐の長安を前近代都市生活の最高峰と評する大きな理由であり、また当時の宮廷芸術が純粋に在地的なものに留まらず、外部の影響を積極的に吸収した理由でもあるのです。

詩と芸術の黄金時代

唐時代は、中国において古典詩の黄金時代として記憶されています。最も名高い二人の詩人、李白と杜甫は、いずれもこの時代に生きた人物であり、その作品は今日に至るまで中国の学校で教えられています。宮廷は独自の音楽・舞踊局を設け、宮中での催しや儀式のための演者を養成していました。この制度こそが、唐時代ショーが着想を得た源泉です。宮廷では詩・音楽・舞踊が密接に結びついており、現存する唐詩の多くが特定の舞踊や楽器を描写しています。歴史家や振付家が宮廷の娯楽がどのようなものであったかを再構築する際の手がかりの一つとなっているのです。

あの城壁について

現在も西安の中心部を取り囲む堂々たる城壁が、唐代のオリジナルの城壁だと思われがちですが、実はそうではありません。現在の城壁は明の時代に築かれたもので、14世紀に造られました。広大な唐の都に比べると規模は小さく、旧皇城の北東部を基盤としています。唐の都ははるかに広大で、外郭の城壁は地上に残っていません。今日、皆さんが歩いたり自転車で巡ったりしているのは、後世に築かれたものではありますが、それでも本物の歴史を持つ建造物であり、唐の時代の地盤の上に立っています。「唐の城壁」を探しに行く前に、ぜひ知っておきたいポイントです。

帝都から現代都市へ

安史の乱により8世紀半ばに唐の権勢は衰え、王朝はついに907年に崩壊しました。その後の王朝は中国の都を東へ、そして北へと移し、まず開封、やがて北京へと遷都され、長安は次第に国家の政治的中心から、重要ではあるものの地方都市へと退いていきました。この長い凋落の歴史こそが、今日の西安に単一の顔ではなく、幾重にも重なる層を感じさせる理由なのです。唐時代の仏塔や墓跡は明代の城壁と並び立ち、清代の鐘楼、そしてそのすべてを取り巻くように築かれた現代都市が広がります。さらに「唐の時代」をテーマにしたショーは、この地が世界の中心であったあの時代へと私たちを誘ってくれます。

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